東奥日報18.03.07
生きる 発達障害とともに -6-
  
  

 たいしとの生活は、毎日がそのままドラマです−。青森市の貝吹信一さん(44)は、知的障害を伴う自閉症の長男・大志くん(12)との日常を記した「たいしダヨリー」をホームページで紹介している。
 学校や旅先の出来事、バスの乗り方の練習、大志くんがふと発した一言…。学区の小学校の普通学級入学を機に始めた便りは、“普通の子”だったら見落としてしまうような小さな成長も大切に残しながら、このほど237号を数えた。
 大志くんは2歳で「自閉傾向を伴う軽度発達遅滞」と診断された。家を飛び出すような多動は年々落ち着いたが、会話や集団行動、自分の意思を伝えることなどは、6年生の今も苦手だ。感覚が敏感で偏食が非常に強く、苦手な給食の日はいつも弁当持参。4年から通う情緒学級の授業は、読書など好きなことができる“リラックスタイム”をしばしば挟んで進む。
 それでも、ゆっくり確実に、大志くんは成長してきた。本屋で絵本をばらまいてしまった時、自分から店員のところに駆けて行って謝った。学習発表会の劇では、大勢の観客を前に大きな声でせりふが言えた。最近、自分の気持ちや体験を作文に書くようになった。「精神年齢的には3、4歳くらい。社会のルールがやっと今、入り始めたころかな」と、母・孝子さん(45)は言う。
 貝吹さん夫妻の持論は「無理させず好きなことを伸ばす。子どもが自分で伸びるのを信じて待つ」。そう思えるようになったのは、悩み苦しんだ幼児期があるからだ。
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 障害特性も何も分からないまま突然「自閉症児の親」になり、途方に暮れた孝子さん。療育施設と幼稚園、学習塾に掛け持ちで通ったこともあった。「将来のために何かやらなければ」と必死だった。昼も夜も目が離せず、疲れ果て「死んだら楽になれる」と思った。
 そんな時支えになった一つが、県外の自閉症児などを持つ親や養護学校教師らとのパソコンでの交流だった。「悩みを相談でき、障害に関する知識も広がった。前向きな人たちに刺激された」と信一さんは振り返る。
 大志くんが幼稚園を卒業する時、仲良しの女の子が「(小学校が違っても)ずっとずっとおともだちよ」と手紙をくれた。「大志くんに会えた娘は幸せです。そういう娘を見られた私も幸せです。大志くんのお父さん、お母さんはもっともっと幸せです」というお母さんの言葉も添えられていた。こうした出会いに支えられたからこそ、信一さんは「便りを通じてずっとつながっていきたい」との思いを強く持つ。
 「たくさん泣いて、笑った。困った時は多くの人に助けてもらった。生き返った気分になれた」と話す孝子さん。その時の感謝を、今度は自分が“自閉症児の成り立てママ”や支援者に向けていきたい−と「自閉症児(者)を持つ親の会」の仲間とともに、講座や行事を開く。
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 ホームページの表紙には、ぶかぶかのジャージーと黄色い帽子で小学校に向かう大志くんの写真がある。4月から通うのは、自宅と目と鼻の先にある学区の中学校だ。
 3月、自宅で学生服のテレビコマーシャルを見て「ぼくも着る」と笑顔を見せる大志くん。慣れた環境からの変化が、大きな不安やストレスになる心配は少なからずある。「勉強より、気持ちの安定が一番」という孝子さん。その言葉にうなずく信一さんは「いつか『僕のこと書いちゃだめ』と言われるまでは、もう少し、便りを続けていきたいな」と照れくさそうに話した。




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